2017-09-07

金沢のうどん屋「加登長」と「お多福」の関係は?



金沢市民ならたぶん誰でも知っており
一度は食べたことのあるうどん・そばの店「加登長」。

ほとんどが暖簾分けで増えていったお店だそうです。
最初はなんと小松で創業したとか。

http://www.komatsuguide.jp/index.php/article/detail/udon/
小松の観光サイトによると、

 明治になると、小松駅近くに『加登長(かどちょう)』といううどん屋ができ、広く庶民が味わえるようになった。
実はその店を開いたのは、初の公選小松市長・和田伝四郎氏の叔父・和田長平氏だった。
明治30年(1897)、鉄道が開通する直前に駅前の角に店を出したのである。この加登長は人気店となり、のれん分けによって次々と店が増えていった。

現在金沢市でよく見かける「加登長」が、実は小松で誕生した大衆的な「小松うどん」のルーツであることは、ほとんど知られていない。
現在小松市内に店舗がなくなってしまったことが惜しまれる



とのこと。

もっと詳しく調べるとこんなサイトが。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000212083
金沢における麺類の歴史について

によると、

石川県に大阪うどんを持ち込み、最初に麺類店を開業したのは和田長平翁で、
翁は鉄道が開通した1897年(明治30年)9月30日の直前に小松駅前の右角で加登長の屋号で開店した。
金沢延伸にともない半年ほどで小松の店をたたみ、金沢の近江町で開店した。

とのことで、いまある近江町の「総本店」は
まさに総本店、パイオニアのお店のよう。



そして「お多福」は元加登長の人が始めたそう。

http://www.47news.jp/smp/localnews/hotnews/2013/05/post_20130527082222.php


加登長は1897(明治30)年に小松出身の和田長平氏が創業。
この加登長の片町店で働いていた桐木平次郎氏が1910年に独立し、
お多福を構えたという「親子」のような関係だった。


そしてお多福の総本店は野町にあったそうな。
https://ameblo.jp/shanti-sky/entry-12142321358.html
あすかりんブログによると

「お多福」は金沢市民なら知らない人はいないうどん店で、
総本店(金沢市野町)が明治43年に創業後、のれん分けをして、
高度成長期には69店舗もの支店がありました。




それぞれの元祖の店はもうないようですが、
かなり古い店はまだあります。

加登長だと近江町市場のすぐそばにある「総本店」。
http://kadocyou.web.fc2.com/

ただHPの記述は明治24年創業とのこと、なぜ小松より早い?
ただの勘違いかと思いますが・・・
※総本店の過去記事


そしてお多福は小橋のお店が昭和5年創業。
ここは総本店からの暖簾分けだったそうです。
https://www.kobashiotafuku.jp/%E5%A7%89%E5%A6%B9%E5%BA%97-%E5%B0%8F%E6%A9%8B%E3%81%8A%E5%A4%9A%E7%A6%8F/


どちらも同名店舗はほとんどが暖簾分けなので
店ごとに味が違うのですが、
かなり甘めの出汁、やわらかめの麺というのは
ある程度共通しているといえます。



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